「瞑想」から「明想」へ 真実の自分を発見する旅の終わり
山本 清次(2023/1/17)

 

「瞑想」から「明想」へ 真実の自分を発見する旅の終わり

  • 著者:山本 清次
  • 出版:現代書林
  • 発行:2023年1月17日
  • 価格:1,400円+税
  • 頁数:192ページ
  • 評者:西野 良子
  • 編集:スピりんく 編集部

スピリチュアルブログ版ダイジェスト

本書は、中国武術を学んだ著者の山本清次氏が指導する「明想」について解説することを通して、この世を生きる上での「光」と「影」を解き明かしていきます。それらを理解した上で、「光のほうへ向かう瞑想」「明るく取り組む瞑想」という意味が込められた「明想」を実践していくことで、自分探しの旅を終えて、安心して幸せに生きられるようになるのだと著者は述べます。

<<著者「山本清次」氏について>>
著者である山本清次氏は、幼少期に中国武術の師と出会い、氣の世界を知ります。青年期には知花敏彦氏を師とし、心と体の関係、また「明想」で偉大なる光の重要性に目覚めました。

現在は一般社団法人愛光流代表として、愛光流氣光整体や明想の指導を行っている他、四柱推命や風水の研究も行っています。また、淡路島の農業コミュニティ「ありがとう村」にて、「光の学校」で明想指導を行っています。

<<「道(タオ)は「光」>>
古今東西より、聖者は皆、光を探求してきました。老子もその一人で、彼はこれを「道(タオ)」と呼びました。「老子道徳経」を自らの原点とする著者は、老子の言う「道(タオ)」を「光」と呼んでいます。

この本は、「道」の力の体得法を、誰もが実践できるようにしたものです。それは元々自分の中にあるもの、今ここにあるものなので、じっとしてすべての五感を閉ざして内なる力を感じることで、そこにただ一つの、すべての源があることが分かるのです。

<<無為自然とは積極的な生き方>>
光が体感できたら、やがて自身が光そのものになる体験へと導かれ、そうした体験を重ねれば、老子の言う無為自然という生き方へシフトしていきます。無為自然な生き方をするようになると、外側にある物質や名誉といったものを求めなくなります。

しかしそれは、消極的に生きることではありません。むしろ、余計なものを求めなくなることで、それに使っていたエネルギーが心身に満ち渡り、生きることが楽になり、生きることそのものに対して積極的になれるのです。

<<縦と横の陰陽の法則>>
目に見えない光の世界を天、目に見える影の世界を地と捉え、方向的には上と下になるこの関係を「縦の陰陽」とします。それに対して「横の陰陽」とは、私たちの体を生かす二つの要素「火(命)」が陽で「水」が陰となります。

どちらにおいても、陽は無限、拡散する力、広がる力で、陰は有限、凝縮する力、集約する力として表現できます。

明想で影の世界をシャットアウトし、内側で光を求める思いを強く持つことで、すべての根源としての光が眼前に姿を現すのです。

<<明想は光のほうを向く訓練>>
明想することは、いつでも光のほうを向くことができる訓練をすることです。自分が本来光であったことを思い出し、常に意識をそちらに向けていれば、影である現実世界で起こっている問題一つひとつを解決しようとしなくても、ちょうど良いところに収まっていくと著者は言います。

目次

  • はじめに
  • 第一章 「明想」で幸せの感受性が開花すると人生は好転する
  • 第二章 圧倒的な「光」の体験が「明想」を生んだ
  • 第三章 正しい霊的知識が開く光への道
  • 第四章 「明想」で「光」に目覚める方法
  • 第五章 「明想」に必要な栄養学・生理学
  • 第六章 「光」に目覚めた人生はこう変わる
  • おわりに

一言コメント

「明想」というと特別な難しい瞑想法なのかと思いそうですが、そうではなく、ただ純粋に「光」を意識して行うシンプルな方法のため、誰でも読んだその日から実践できると感じました。そして何より、生きる上での「光」と「影」のこと、影にとらわれず光のほうを向いて生きることの大切さが分かり、勇気がもらえました。

注目の文章ピックアップ

・心の持ち様を変えるために、あえて何かを反省したり感謝したりせずとも、明想についての正しい知識と正しい方法を知って実践するだけで、どんな人も劇的に変化していきます。

・影とは端的に言えば目に見える現実世界のことなので、影を単なる影とみなしてそこにとらわれなくなると、もはやこの世界では何もとらわれるものがなくなります。

・つまり、私が現在教えている明想は、知花先生の明想とヨガナンダのヨガ瞑想、そして、私がやってきた武術と整体操法の経験が総合されたものといっていいでしょう。

・ただ、三原則という形で説明してはいても、実際は不可分なただ一つの光があり、それが「影」や「火」や「水」などを生じ、固体や液体や氣体となって森羅万象を複雑に構成しています。つまり、あらゆるものの根源は光であり、すべてはその光に還っていくのです。

・むしろ、影を良い方向へ変えたいなら、光のほうへ向き、影へのとらわれを手放せばいいのです。光を求め、影はそのままにしておくと、かえって物事はちょうどいいところに収まっていきます。これは『老子道徳経』でも繰り返し説かれています。

・縦の陰陽においては、すべての原因としての光=陽と、その結果としての影=陰が混じり合ったり、統合されたりすることはあり得ません。原因と結果は根本的に異なる概念であり、混じり合うことも一つになることもないからです。

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「瞑想」から「明想」へ 山本 清次

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