神様、福運を招くコツはありますか?
- 著者:桜井 識子
- 出版:幻冬舎
- 発行:2016年11月10日
- 価格:1,400円+税
- 頁数:271ページ
- 評者:松崎 誠司
- 編集:スピりんく 編集部
スピリチュアルブログ版ダイジェスト
神様、福運を招くコツはありますか?(直接聞いてわかった神仏の本音)は、ためになると思われる話や情報をバラエティ豊かに詰め込んだスピリチュアル情報満載の本です。
著者の桜井識子さんは、霊能者の祖母、審神者の祖父の影響で霊や神仏と深くかかわって育ち、ご縁やご加護を得て人生を好転させるアドバイスを、ブログ(桜井識子オフィシャルブログ~さくら式日記~)や書籍を通じて発信しています。
本書は、内容を一つのテーマにしぼり掘り下げていくのではなく全体を大きく7つの章に分け、それぞれに違ったテーマを取り扱っていますので、飽きがこず気楽に読み進めることができると思います。
日頃もう一つ幸運に恵まれないなあと思っている人、神様って本当にいるの?と思っている人、はたまた病気や人生の大きな決断で真剣に悩んでいる人などに、これはもしかしてと思える発見があると思います。
著者は言っています。この世には個人の運と福運というものがあって、個人の運を大きくするには時間も手間も
かかるけれど、福運の方は棚からぼた餅ラッキーなので時間も手間もかからないそうです。
<縁起物で運を強くする方法>
みなさんそれぞれに縁起物の一つや二つはお持ちだと思います。こまめに縁起物をきれいにしたり、手を合わせる方もいるかもしれませんが、たいていはお家のどこかに飾ってあるよという人がほとんではないでしょうか。
筆者は縁起物はただ飾っておくだけではもったいない、見えない世界での貴重な機能を使っていないと言っています。
識子さんは、お正月に縁起物の熊手を買ったそうです。それを日々きれいにしておくことはもちろんですが、それだけではだめで、時々熊手を持って福運をガシガシとかき寄せているそうです。ほかにも出雲大社で買った「しあわせの鈴」は時々鳴らして魔を祓い、また奈良の大神神社で買ったご神樹の葉っぱに頭をなでてもらっているそうです。ばかげているようですが、見えない世界ではこういうことが大事なのだと言っています。
<自分の霊格を甘くみない>
みんながしているのだからと、法律には触れないし人道的にもそこまで悪くないじゃないとみんなと同じようにやってみたらバチが当たったなんてことありませんか?識子さんはその人の霊格が高ければいろいろと天(この世でたった一つの存在である真理の神様)から霊格に応じた矯正を受けると言っています。バチが当たった程度ですむこともありますが、驚くほど厳しい内容になることもあるそうです。
<年忌供養だけは欠かしてはならない理由>
筆者によれば、命日とかお彼岸とかお盆のような行事はパスしてもそれほど差し支えないが、年忌供養だけは欠かすと亡くなった故人が悲しい思いをするそうです。
年忌供養は亡くなった人があの世での格が上がっていくのを助ける、次のステップに行くための力になるのだそうです。
年忌供養を欠かすと、下手をすると故人が障りを与えて子孫に気づいてもらうしかない!なんてことも起こったりするそうです。
他にも、<神様が喜ぶ丁寧な挨拶をしてみよう>や<願掛けがかなわなかったことに今はお礼を言いたい>
<末期ガンの叔父に起こった奇跡><宗教に詳しいだけでは死後の道はわからない>など、まだまだスピリチュアルな興味をそそられる内容が続きます。ここでこの文章を目にされたのも何かの縁、詳しくはぜひ書籍を手に取ってご覧ください。
目次
- まえがき
- 第1章 もっと知りたい神様の世界
- 第2章 面倒見のいいお稲荷さん
- 第3章 神様に喜んでもらえる参拝を
- 第4章 神様からのサイン
- 第5章 病を癒やす、幽霊を祓う
- 第6章 死後に満足できるお墓選び
- 第7章 いつか帰る世界
- あとがき
一言コメント
内容は神仏の真理に触れた内容で一面とても深いのですが、識子さんの口調は終始どこにでもいるおばちゃん風で、難しい言い回しは一切ありません。なのでとても読みやすく、単純に福運が欲しい!という方から、常日頃からスピリチュアルなことに興味を持っている方まで好適な一冊だと思います。
注目の文章ピックアップ
・縁起物は飾りにしないことが大切です。まず、ホコリがかぶるような置きっぱなしはいけません。縁起物の福を呼ぶ力にもホコリがつくからです。せっせと磨いてキレイな状態にしておきます。
・熊手は「たまに」でいいので、手で持って本当にかき寄せる仕草をします。「えっ、それ50過ぎて本気でやってるんですか!?」と思われそうですが、ええ、極めて真面目にやっています。一人で。黙々と(笑)。
・絶対神(天)は人間一人一人のことをすべて把握しており、見逃しや見落としがありません。愛そのものと言ってもいい存在ですので、人間が自分で霊格を落とす行為をすると、愛するがゆえに矯正をしてくれます。しかし時として、その矯正方法が非常に厳しいものだったりします。
・年忌にこだわらず、普通の日に供養しても同じことなのでは?と思われるかもしれませんが、それが全然違うのです。年忌という節目に何か秘密があるようです。「そんなことはあまり関係ないと思う」「私は年忌供養がなくてもいいわ」と、死後の世界を軽く考えないほうがいいですよ、というのは私からの個人的なアドバイスです。こればかりは、死んだあとで「しまった!」と後悔しても取り返しがつきません。