こころの遊歩道 「1日5分」で幸せを感じる方法論
- 著者:小林 正観
- 出版:イースト・プレス
- 発行:2016年7月15日
- 価格:1,500円+税
- 頁数:272ページ
- 評者:坂崎槇子
- 編集:スピりんく 編集部
スピリチュアルブログ版ダイジェスト
今回ご紹介する本は、1997年に出版された「こころの遊歩道」の復刻版です。著者の小林正観さんは作家としても有名ですが、この本は物語ではなく、人が幸せに、あるがままに生きるためのガイドブックともいえるものです。
この本では、47個の「ものの見方」が紹介されています。一つ一つの話は必ずしも関連はありませんが、著者が発見したという「幸せを感じる方法」が、心あたたまる具体例とともに述べられています。
まず著者は、不幸と幸せは切っても切れないものであり、ワンセットであることを教えてくれます。つまり、不幸は幸せを感じるために必要なエッセンスであり、不幸を経験しなければ幸せを十分に感じることができないのです。一方で著者は、幸せも不幸も相対的なもので、とらえ方次第でどちらにもなりうる、とも教えてくれています。
また、幸せを感じるためには、口先であれこれ言うのではなく、まわりの人を大切にして、行動で自分の生きざまを見せることも大切だと説いています。さらに、運命とは人によって「運ばれて」くるものであり、人生とは人との出会いによって組み立てられるものなのだから、まわりの人をどれだけ大切にしてるかによって運命は決まる、とも説いています。
多くの人が悩む人間関係については、人にはそれぞれ個性や持ち味があるのだから、他人と競うこと・比べること・争うことはそもそも意味がない、としています。さらに著者は、人と比べないことが人間の幸せの一つだ、とも言っています。また、相手の良いと思うところだけをみれば、相手を尊敬し、親しみを感じることができるようになるとも言及しています。
そして、人が無意識のうちに思う「勝とう」という気持ちに対しては、本当に「強い人」とはどういう人なのかを私たちに諭し、勝とうと思わなければ人生が非常に楽であることを示してくれています。
さらに、自分の周りには自分にちょうどいい人が集まること、つまり、悪口を言えばそれにふさわしい人しか集まらないこと、逆に「嬉しい・楽しい・幸せ」と言い続けていれば、同じような人が集まるということを教えてくれています。
加えて、著者はあるがままを受け入れることの大切さを説き、不条理なことについても、どのようにすればネガティブな気持ちを持たずに受け入れることができるのかを教えてくれています。
最後に著者はお釈迦様の予言を引用し、皆で平和な世界を作ろう、と結んでいます。ちょっと突飛なことのようにも思われますが、この本を読み終えると、皆が穏やかで争わず、笑顔を絶やさなければ平和の世界の実現は不可能ではない、と感じるようになります。
目次
- はじめに
- 第1章 「幸」と「不幸」の法則
- 第2章 「幸せを感じる人」の共通点
- 第3章 人間関係の悩みがゼロになる
- 第4章 「結果」が教えてくれること
- 第5章 喜ばれれば、全てが幸せ
- 第6章 受け入れれば、全てが幸せ
- あとがき
- 解説
一言コメント
幸せに生きるための47のヒントが、やさしく語りかけるような口調で書かれているスピリチュアル本です。私はこの本を読み、幸せは決して遠いものではなく、遠ざけているのは自分自身だったのか、と気づくことができました。読むことによって傷つき疲れた心が心地よくいやされ、より良い生き方が見えてくる、そんな名著です。
注目の文章ピックアップ
・「幸せ」である、ということは外的なもので決まるのではなく、「心」の問題としてきまってくるのです。
・一人一人を大切にしている人は、必ず良い「運命」を手に入れることができます。「運」とは「人によって運ばれてくるもの」なのです。
・そんなつもりはなかったのに、ちょっとした言葉で人を傷つけてしまった、誤っても聞いてくれない、顔も合わせてくれない、という場合も、弁解や弁明をするという方法でなく、黙々と“生きざま”を見せる、という方法があるのです。
・自分が理想とする人格や生き方、考え方に向かって、毎日努力し、自己研鑽を積む、ということは、自分の中の問題(自分との戦い)であって、他人と比べることではありません。
・「本当の強さ」というのは、目に見えて戦ったり、争ったりはしないこと。
・「勝とう」とするから、世の中は大変になるのです。勝つ必要などない、主張しない、対立しない、競争しない、ということを、自分の人生の中に据えていくと生きるのが大変楽になります。
・「全てがあなたにちょうどいい」人の悪口を言わない人には、その悪口を言わないというあなたに対してちょうどいい、悪口を言わない友人が集まってきます。
・その「不条理」が、自分にとって許せないものであるならば、「不条理」の中にいる人を糾弾するのではなく、「自分自身はそういう生き方をしない」と固く決意し直すこと