妻は見えるひとでした
小野寺S一貴(2018/2/28)

 

妻は見えるひとでした

  • 著者:小野寺S一貴
  • 出版:株式会社 扶桑社
  • 発行:2021年3月3日
  • 価格:1,500円+税
  • 頁数:366ページ
  • 評者:井口 まどか

スピリチュアルブログ版ダイジェスト

小学校3年生のときに、祖父母の家で罰当たりな行いをした著者は、実際に罰が当たったことをきっかけに、見えない世界を信じると誓いました。

その後、霊能力を有する妻と出会って結婚し、夫婦間に起こったさまざまなエピソードが包み隠さず語られています。

《著者「小野寺S一貴」氏について》

本書の著者である小野寺S一貴氏は、山形大学大学院理工学研究科の課程を修了後、一般企業に就職し、技術者として14年間勤務した経歴があります。

宮城県仙台市在住で、2011年に起きた東日本大震災を目の当たりにし、宮城県議会議員選挙に無所属で立候補するなどの経験を経て、現在、作家兼古事記研究者として活躍しています。

《「見えないもの」は怖いものではない》

霊、妖怪、鬼、死神などは、目に見えないものの中でも、恐怖の対象として扱われるのが一般的です。

しかし、本書に登場する見えない存在は、個性豊かで親しみやすいキャラクターばかりです。

本書を通じて、自分にも同じように守護霊がついていて、常に見守り、導いてもらえているという安心感を得られるのです。

また、心霊スポットと呼ばれる場所は、そこにいる霊が恐怖感を与えているのではなく、「怖い」と思う人の念によってつくり出されることがあると著者はいいます。

著者の妻も、「魂となった本物の霊は余計なものがなくなり、きれいで怖くない」と著者に伝えています。

生きた人間の「念」と「思い」に加えて、生霊という形で飛ばされた念に対し、守護霊はなすすべがありません。

本書を読むと、見えない存在よりも、人間の方がこわいのかもしれないと考えさせられます。

《「見えない世界」は私たちの身近にある》

日本には「八百万(やおよろず)の神々」がいて、あらゆるものに神さまが宿るという考え方があります。

さらに、これまで亡くなった人たちの霊体、動物の霊、妖怪、精霊などの存在を合わせると、今生で肉体を持って生きている人間よりも、見えないもの方が圧倒的に多いと想像できるのです。

したがって、見えない存在が私たちのすぐそばに息づいていても不思議はないと著者は主張します。

現に、「小さいおじさん」を目撃したり、「座敷童」の存在を感じたりといった、著名人の体験談を耳にします。

加えて、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、街に出る人が少なくなったことで地球が浄化され、見えない存在が動きやすくなっていることから、何かの拍子に遭遇する可能性もあるでしょう。

そうしたときに、幸福を呼ぶ精霊が現れるかどうかは、私たちの心の持ちようにかかっています。

自分の利益だけを考えるのではなく、他人を思いやる気持ちを大切にすることで、結果的に自分も幸せになれるというのが著者の意見です。

私たちの住む世界は、見えない世界とすぐ隣り合わせにあります。

また、その世界は怖いものではなく、本来はあたたかい存在です。

見えないもののサポートを受けて幸福を手に入れるために、笑顔と感謝を忘れず、他人を思いやることを実践したくなる1冊です。

目次

  • プロローグ
  • 第1章 いろいろ目覚めた幼少期
  • 第2章 出会いと結婚と、そして見えない世界への入り口へ
  • 第3章 えっ守護霊?〜お叱りに現れた僕たちの守護霊様〜
  • 第4章 霊もいろいろありまして〜幽霊だってもとは人間、良い霊も悪い霊もごちゃまぜなんです〜
  • 第5章 怪しくも賑やかな…妖怪?精霊?〜この世は肉体がある存在の方が少数派らしい〜
  • 第6章 日本の神様は多種多様①〜死神だって神様ざんす〜
  • 第7章 日本の神様は多種多様②〜罰当たりな実験をしてみた。ギャンブルの神様と競馬でひと儲け?〜
  • 第8章 僕たちが経験した不思議な話
  • 第9章 一緒に苦しみを超えた大切な「馬」という存在
  • エピローグ
  • あとがき

一言コメント

著者夫婦に起きた出来事が赤裸々につづられたノンフィクションであるにもかかわらず、小説のようにどんどん読み進められる軽快なストーリーが魅力です。2人の出会いが偶然ではなく、必然であったことがわかる、プロローグとエピローグでつながるエピソードも必見です。

注目の文章ピックアップ

・だけど、人は誰しも違和感とか直感とか、そういう形で必ず何かを感じ取っている。

・自分の感覚というのを、これからはもっと大事にしていこう。それが自分自身を救うのだ。

・だけど本当に信心深い人というのは、その「見えないもの」が及ぼす閃きや直感をどれだけ素直に受け取れるか、なのだ。

・神様とか仏様をただ信じるのが信心深いのではなく、自分の感覚を信じることができることこそが、本当の「信心深い人」なのだと思う。

・自分達と関わる人たちが、みんな楽しく生きられるように心がけること。笑顔と感謝を忘れないこと。そんな心がけが、自分を守る盾となり、どんな生き霊も手出しができなくなる。

・それに対して人間は、人と関わり、社会で生きるなかで経験を積んで成長していく。何かに挑戦することも、好きなところに行くことだってできるのだ。それは生きているから、肉体があるからできること。

・それと同じように、神様や仏様、そして自分を守護してくれている見えない存在を当然のこととして受け入れ、自然と感謝の心が芽生えること。これが本当の「信仰心」なのだ。

・お金も運も、本当に大切なものをわかっている人、そしてそれを守るために本気で行動する人のところにちゃんと巡ってきてくれる。必ず、そう必ず。

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妻は見えるひとでした 小野寺S一貴

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