「山の神様」からこっそりうかがった「幸運」を呼び込むツボ
- 著者 桜井 識子
- 出版:株式会社 宝島社
- 発行:2017年6月23日
- 価格:1,300円+税
- 頁数:255ページ
- 評者:蒔田ちづ江
- 編集:スピりんく 編集部
スピリチュアルブログ版ダイジェスト
著者 桜井識子は、全国の有名な神社仏閣・パワースポットを訪れ、自身の霊能力を使い、神仏との会話を通し、神とコンタクトする方法や見えない世界の仕組み等を著書やブログを通して伝えています。
山の神様は里の神様と比べると、神格が高く波動も強いのが特徴で、この本には著者が直接訪れた各地の山の神様から教えてもらった、幸運を呼び込む「ツボ」が紹介されています。
熊野三山の神様からは、神様にいつも身近で守ってもらう方法を教わります。
その方法とは、神様に宿ってもらう場所を設けるという事です。
家にいてもらうためには、神棚にお社を用意しお札やお鏡に宿ってもらい、身につけるものとしてはお守りに波動を入れてもらいます。
波動を入れやすいお守りの色は白だそうです。
熊野本宮は、人間の運命を簡単に変えられる奇跡を起こせるほどのパワーの持ち主だそうです。
吉野山の神様の話では、山の真ん中には地球内部からのパワーが集まっているため、山岳系神様は山に宿れるというわけで、エネルギーがない山には宿れないのだそうです。
吉野山の神様に会うためには、金峯神社よりも水分神社の神様のほうが波動が高く、コンタクトしやすいとの事です。
伊豆大島、三原神社の神様からは、黒龍は火に関係しているため、火山のある場所にいて、緑龍は山岳系神様のもとに眷属としていることが多いと教わります。
また、龍が人間を見る時は、人間を姿かたちで見るのではなく,その人の魂を見て判断するため、過去生においてその人がどのような人間だったのかもすべてわかるのだそうです。
北陸白山では、著者は神様に幸せとは何かを訊ねています。
すると白山の神様からは、自分の魂が喜ぶことは何かを探して、魂が満足することを行う事だと答えています。
四国の石鎚神社と、九州の宮地獄神社の神様からは、古代、人間は誰もが神様と話す能力を持っていたと教わります。
しかし、時が流れ人間に知恵がついてくると、神様とつながる能力が錆びてきて、人間自身の霊性も変わり、能力は退化してきたのだそうです。
やがて科学や文明が発達してくると、さらに人間は神様から離れていくのですが、人間にはこのようなタネは今でも残っているのだそうです。
また神様は、全ての人々を平等に歓迎し受け入れていますが、人間が自分で心の中で壁を作っているため、そのサインを受け取れる人と受け取れない人がいるのだとも説明しています。
このように著者は,自分の足で神社を参拝しながら、ブログの読者から寄せられた質問や著者自身がわからないことを神様に訊ねていますが、どこの山の神様も眷属も丁寧に教えてくれています。
神様は人間に幸せになってもらいたくて力を貸そうとしていますが、この人間のために何かをしてやろうという判断基準は、その人の人間性を見て判断しているのだと知ります。
「神様は、心根の優しい人間が好き」だという事に改めて気づきます。
また、幸せとは何かを考えたときに、他人の幸せを判断基準にしてしまうと、他人にあるものが自分になかった時に、どうしても不幸を感じてしまいます。
しかし、幸せも生き方も人と比べるのではく、今、自分の中にあるものの中に幸せを感じることが大事であると著者は結んでいます。
目次
- 口絵
- まえがき
- 全国山の神様探訪マップ
- 第1章 近畿の山と神様
- 第2章 関東・中部の山と神様
- 第3章 四国の山と神様
- 第4章 九州の山と神様
- 第5章 北海道・東北の山と神様
- あとがき
- 山岳系神社・寺院ガイド
一言コメント
著者は、神様を自身の目で見て普通に話していますが、そんな能力が、古代の人間にあったとは驚きでした。
科学や文明の発達と共に、その能力を退化させてしまったとは、ちょっと残念にも思います。
黒龍が山の周りを泳いでいる姿は、見てみたいものです。
神様と人間は、昔から深いつながりがあったことを教えられた本でした。
注目の文章ピックアップ
山を輪切りにすると、ほとんどの山の真ん中にはすごいエネルギーがあるそうです。
地球内部からのパワーが集まっているらしいです。
だから山岳系神様は山に宿れるというわけです。
三原山は地球内部からのエネルギーをもらいやすい場所となっています。
お鉢巡りをするだけで、地球の強いパワーによって霊体についている汚れが、小さなものまで全部落ちます。
神様によると幸せをつかむには、自分はどの部分が突出していたらうれしいのか、何を持っていたら喜ぶのか、を本気で知る事だそうです。
そしてそれ以外は、幸・不幸の判断材料にしない、そこが肝要であると言っていました。
受け取れる人は、歓迎の印や恩恵などたくさんのサインを感じることができます。
それによって「嬉しい」「楽しい」「ありがたい」という気持ちになります。
それは神様からの愛情を魂が感じた反応ともいえるのです。
人間は一生を通していろいろなことを学ぶ計画を持って生まれてきます。
学習して還らなければならない事がたくさんあります。
超古代の原始の人間は、神様がわかる能力を全員がもっていたそうです。
見えるのか、聞こえるのか、その両方なのかは人によって違っていたようですが、みんなが神様とつながることができたそうです。
知恵がついてくると、小賢しい人も出てきます。
そのような人は心の状態がピュアではないため、能力が錆びついていきます。
神仏が心を開くというか、気持ちを許すというか、この人間のために何かをしてやろうという判断基準は、「修行をたくさんしているから」じゃないんですね。
神仏にとって一番大事なのはやはり人間性なのです。