「霊魂」を探して
- 著者:鵜飼秀徳
- 出版:KADOKAWA
- 発行:2018年2月22日
- 価格:1,600円+税
- 頁数:312ページ
- 評者:大石理乃
- 編集:スピりんく 編集部
スピリチュアルブログ版ダイジェスト
今回紹介させていただくのは、宗教と社会をテーマとした執筆、テレビ・ラジオ出演、大学や宗教界などでも多く講演されている浄土宗正覚寺の鵜飼秀徳副住職様が、僧侶などに霊魂に関する調査を行い、現代における霊魂観を探りまとめた「「霊魂」を探して」という書籍です。
本書の構成としては“東日本大震災”から約一年が経とうという頃に「お化けや幽霊が見えるという感覚が多くの被災者を悩ませている」という内容の新聞記事を目にしたところからはじまります。
2つの被災地(東日本と阪神・淡路)での霊魂に関する話の数が大きく異なっていることに疑問を持ち、それぞれの霊魂に関する記事を比較しています。
震災で亡くなった方の供養を実施した僧侶にも話を聞きますが、多くの霊魂現象が聞かれた“東日本大震災”に対し“阪神・淡路大震災”では一つも霊魂に関する話が出てこなかったそうです。
「あの世を信じていますか?」などの調査も行われますが、戦後間もないころに行われた調査よりも、現代のあの世を信じている人の数は倍増しています。
約2年をかけて霊魂に関する調査が行われました。
■さまよう霊魂
近年になりゴミ箱やトイレ、電車の網棚に身元がわからぬような状態にした遺骨を忘れたふりをして捨てる人がいる現実。
一方で神社仏閣に手を合わせる人が絶えないという現実もあり、現代における霊魂現象について実際にあった事例が紹介されています。
■僧侶は霊魂を信じる?
1335人の僧侶に実施した霊魂観についての調査がまとめられています。
実際にあった霊的な相談事例、お迎え現象、虫の知らせ、科学者の見解なども紹介されています。
■宗教団体の霊魂観
多くの宗教団体が「共通の質問状」回答を避ける姿勢を見せ、アンケート回収まで半年も要したそうです。
この結果を元に“霊魂観”に関するポジションがチャート形式でわかりやすくまとめられています。
巻末で僧侶1335人への”霊魂に関する調査結果“が、わかりやすくグラフ化されています。
霊魂に関するこのような調査はほとんど例がなく、その中で霊魂の存在に疑いを持っている現実が見えてきます。
死んだらどうなるか、仏壇やお墓に手を合わせる主体が何なのか、多くの僧侶が明確な回答を持ち合わせていなかったのです。
シャーマンとの対話では、心を見透かされた見えざる存在と著者とのやりとりも紹介されています。
日本人はどのように霊魂と関わってきたか、民俗学資料や専門家への取材から伝統的な霊魂観が見えてきます。
著者は本書の中でこう語っています。
《死は定めであり、誰しも避けられない。その死を受け入れることは僧侶とて、容易ではない。しかし、わずかでも「死の意味」が理解でき、死を受け入れることができれば、どんなに幸せな最期を迎えられることだろう。》
死に対する想像や生きる意味を読者の方々と共有できればと筆者の想いがつまった注目のスピリチュアル本です。
目次
- はじめに
- 第一章 現代をさまよう霊魂
- 第二章 僧侶は霊魂を信じるのか
- 第三章 日本人の霊魂観
- 第四章 霊魂観が色濃く残る村落
- 第五章 現代のシャーマンたち
- おわりに
- 参考・引用文献、論文
- 巻末付録
一言コメント
スピリチュアルに興味を持ちはじめた方にも読みやすい本です。
私も問題解決を願った時に思いましたが、行き詰ったとき宗教が救ってくれる局面があるだろう、見えざる世界に想像を巡らすことがどれだけ大切なことか書かれています。
自分の置かれた立場によって霊魂観は変化するものだと改めて実感させられました。
注目の文章ピックアップ
・浮かばれない、という死者に対する思いは日本人特有のものだ。日本人は「魂をきちんと鎮める(慰める)」という手段をもって、死者に対する畏敬を表現してきた。東日本大震災では、本来持っている日本人の霊魂観が呼び覚まされたのではないだろうか。
・「手元供養」とは、遺骨を墓に納めず、ずっと手元に置いておく新しい供養のカタチのことだ。小さな骨壺に骨を入れたり、遺骨を人工ダイヤモンドに加工してアクセサリーにして、身につけたりする。死との距離を離そうとする現代人がいる一方で、別の次元では、非常に近くに死を感じる環境を自らつくり出しているのだ。
・「例えば、自殺者や事故死の場合や、幼い子どもさんを亡くされた場合など、遺族がその死を受け入れることは到底、不可能です。多くの方が、相談できるものもいない状態で、私のところへいらっしゃします。その時、降りてきた仏様に対し、遺族は、なぜ死ななければならなかったのか、などと問答されます。故人との対話を通じて、遺族は心の整理がつき、死を受け入れられることがあります。」
・社会が行き詰ったとき、経済本位ではない自分の生き方が求められる。将来、宗教が私たちを救ってくれる局面がきっとあると思う。だからこそ、精神世界のことも、きちんと考えておきたいと思う今日この頃である。