さらりと生きてみる 自分がほどける1分法話
- 著者:えしゅん
- 出版:さくら舎
- 発行:2023年12月8日
- 価格:1,500円+税
- 頁数:224ページ
- 評者:西野 良子
- 編集:スピりんく 編集部
スピリチュアルブログ版ダイジェスト
本書は、著者のえしゅん氏が、僧侶の視点を生かして、現代の若い方から年配の方まで誰もが読みやすい文章で書かれた100の「さらりと生きるコツ」を集めた法話集です。
仏教に詳しい方だけでなく、仏教について全く馴染みがないという方でも理解しやすい優しい文章で記されているため、この本が仏教に興味を持つきっかけになる方もいそうです。
<<著者「えしゅん」氏について>>
著者のえしゅん氏は、1991年生まれで、現在30代の青年僧です。2017年より姫路市の天台宗正明寺の僧侶として法務に従事しています。
2020年からYouTubeやTikTokで配信をし、法話と言えども難しい言葉ではなく、誰にでも分かりやすい言葉で仏教の教えを伝道をしていることから、TikTokでは現在フォロワー10万人を超える人気となりました。
<<苦しみから離れることを目指す>>
仏教の目指すところを一言で表すと、「苦しみから離れること」であると著者は言います。
ではなぜ、人は苦しみを感じるのでしょうか。それは「こうしたい」とか「こうあってほしい」という欲があるからで、その通りにならない時に苦しみを感じるものです。つまり「満足いかないこと」が「苦しい状態」だと言えます。
そんな苦しみに対して、仏教では「小欲知足」という教えがあります。「こうあってほしい」の心が強くなりすぎないように欲をコントロールし、足りていることに目を向けて感謝をする。そうすることで、求めていることと現実とのギャップを感じ過ぎて苦しみが大きくなることを防ぎ、今あることを思い出して感謝をすることでささやかな幸せが感じられるようになるのです。
仏教は、仏に現実を変えてもらうための教えではなく、自分が変わって自らが仏となるための教えです。
<<仏も地獄の心を持つ>>
多くの方は、仏様は偉大だから地獄の心などあるはずがないと思うでしょうか。ところが著者は、仏にも私たちと同じように地獄の心や修羅の心はあるのだと言います。
このことは、私たちに大きな安心感を与えます。ですから、私たちが人を憎んだり恨んだりするような心を持ってしまった時も、必要以上に自分を責めたり、醜いと落ち込んだりすることはないのです。
ただ、仏が私たちと違うのは、そういった地獄の心、修羅の心に自らが支配されないということです。それでも、仏にもそういった心があるからこそ、私たちの悩みや苦しみを理解し、救いの手を差し伸べてくださるのです。
ここで大切なのは、この心はきっと仏様が理解してくださると安心して、私たちも仏様をお手本に、そんな心に支配されず囚われないようにすることです。
<<考えすぎずに今を楽しむ>>
悩みが多い人は、いつも考えすぎてしまっていることが多いのではないでしょうか。
著者は、ここで読者に投げかけます。「それは本当に望んで考えているのか?」と。
人は放っておくと、ついあれこれ考えて流されてしまう性質があるようです。そのため、ずるずると考えている自分に気付いたら、それは本当に考えたくてしているのかを省みて、そうではないなら何か他の行動をして刺激を受け、リフレッシュすることを勧めています。
変化を受け入れ今を楽しむこと、それが仏教でいう「幸せ」だからです。
目次
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- 第1章 自分をほどく
- 第2章 心と向き合う
- 第3章 さわやかな人間関係
- 第4章 さらりと生きる
- 第5章 「生き死に」と共に
一言コメント
若手の僧侶であるえしゅん氏の法話は、堅苦しいところがなく、まるでエッセイ集のように読みやすくまとまっています。仏教の教えが凝縮され、普段の生活ですぐに生かすことが出来そうです。この本に書いてあることを覚えておくことで、いつも悩んでしまいがちな人も、さらりと生きられるようになっていくかもしれません。
注目の文章ピックアップ
・煩悩という言葉で大事なのは、「縛られている」という感覚です。煩悩は縛られている状態なんです。
・しかし、目標って「目印」なんです。「目標」と書いて「めじるし」と読みます。進んで行く方向を示すものということです。
・座禅のとき、私のいる天台宗で精神統一法として伝えられている理論を紹介します。「身・息・心」の順に整えていくことが大切とされています。
・「他人を浄めることができない」と言われています。大切なことは、自分はどう生きるかです。気持ちを切り替えて、次のステップへと進んでいきましょう。すると自分の清々しく生きる姿が、相手を変えることだってあると思いますよ。
・「尊い」という感情を最も伝えられる方法、それは合掌です。合掌はもともと、右へ左へ散り散りになろうとする「心」を一つにまとめる行動だといわれています。
・声を上げる大切さ。そしてその声を聞いている存在がいるんだということを、私は観音様から学びながら、手を合わせています。
・「亡くなった方は、自分の姿を通じて教えを与えてくれているんだよ。『誰でもいつかは死ぬもの。じゃあ今生きているみんなは、どう生きていくの?』そうメッセージを伝えてくれている。まさに説法しているんだよ」