私は、悲しみも劣情も、静やかに眺める。
黒田 充代(2017/10/23)

私は、悲しみも劣情も、静やかに眺める。

  • 著者:黒田 充代
  • 出版:クローバー出版
  • 発行:2017年10月23日
  • 価格:1,700円+税
  • 頁数:277ページ
  • 評者:金谷 祐
  • 編集:スピりんく 編集部

スピリチュアルブログ版ダイジェスト

今回紹介する本は、著者である黒田 充代が、日々の生活において大切である「中庸」を説明しているスピリチュアル本となっています。

スピリチュアルについて学ぶうえで、外すことができないワードに「中庸」という言葉があります。本文中で著者も言っていますが、一般的に中庸という言葉は、「どちらにも偏らずに、常に真ん中にいるような生き方」であると認識されがちです。著者は「ほどほど」や「バランスよく」といった事なかれ主義でもあると言い換えています。

しかし、著者が必要だと言っている本当の中庸は、このような事なかれ主義な意味ではありません。本当の中庸は、自分の目の前で起きている両極端な物事全てを、受け止め見渡すことができる能力なのです。

例えば、自分と他人の間柄で考えます。一般的な中庸であれば、自分目線で相手との距離感を推し量りその中心地点にいようと努力します。その一方、著者が手に入れた本当の中庸は、心を自分と相手から中間の位置に置いて、自分と相手の気持ちを考えるその結果中心地点が分かっていくというものであります。

著者は、すべてを見渡すことができる中庸な心を手に入れることで、自分自身を深く見つめて本当の自分を探し出すことができると言っています。

自分の気持ちを体裁や恥じらい無しで見つめることは、最初は非常に難しいです。期待や批判、疑いの思いが沸き起こってしまい、それが自分の心を中庸にすることの邪魔をします。

それでも、その邪魔をする思いをはねのけて、自分の感情や思いを中庸な心で向き合い認めることをする。その結果、本当の自分らしさを手に入れることができるのです。

この自分らしさは、常に一定の気持ちでなくてもよいと著者は言っています。著者は「動揺」という言葉が好きだそうです。何かの刺激があれば心は揺れ動くものであります。逆に揺さぶられているからこそ、人間が生きている証拠であります。
しかし、動揺をしすぎると自分の本当の気持ちが変化してしまい、見失ってしまいそうになります。このときに自分の心を見渡す「中庸な心」が大切になります。中庸な心とは、動揺があっても必要以上に気持ちを揺らされることない心を作ってくれるのです。

さらに、心を必要以上に揺さぶられないために、自分の心に中庸な場所を作ることが必要です。どんなに心が揺れ動いても、直感で判断することができなくても、この場所に戻ればまた中庸な気持ちに戻ることができる。そのような中庸の場所が必要になります。
世の中には、両極端な陰と陽に分かれたことがたくさんあります。自分の心の中心に何も存在しないまっさらな空間、陰と陽のどちらにも染まらない中庸の場所を作り出すことで、どのようなことが起きても落ち着きなおすことができるのです。

これまで紹介してきた「中庸」を手に入れることで、自分の意思に気づきます。自分の本当の思いや行ないたいことに気づくことで、自分のための人生を歩むことができます。
誰のためでもなく自分の人生を愛して、幸せな自分を手に入れるために「中庸」を大切にすることが必要であると著者は考えています。

目次

  • 第一章 なぜ中庸が必要なのか?
  • 第二章 中庸なイメージサークルのすべて
  • 第三章 中庸なバランスとは?
  • 第四章 あなたの中庸を育てる方法
  • 第五章 私の生き方

一言コメント

この本は、自分の人生をより良いものにするために、いかに「中庸」が大切であるかを説明しているスピリチュアル本となっています。
文章に著者の思いや気持ちがたくさんこもっているため、非常に熱狂的に読むことができました。自分自身のためにも、明日から中庸を大切に過ごそうと感じる一冊です。

注目の文章ピックアップ

・ほかの誰でもない自分の心。出発地点はそこにある。「あなた自身」が「あなた自身」を見渡す感覚こそ、この均衡で渦巻く世界には、どうしたって必要な要素と言えるのではないだろうか。自分自身の持つあらゆる感情たち、思い思いの感情たち。その真ん中に立ち「すべての私」を見渡していく。

・私は「動揺」という言葉が、なんだか好きだ。どんな感情も揺れ動くもの。その心のすべてを、教えてくれているように思えるからかもしれない。嬉しさに、心が大きく弾むことだって、心の揺れ。悲しみや怒りで小刻みに心が震えることだって、心の揺れ。どんな感情も、動くときは揺れているのだ。

・自分の中に表れる一喜一憂に、必要以上にふりまわされてしまうことに、焦燥を覚えることもあるかもしれない。だけれど、いちいち揺れ動いてもいい!迷ってもいい!だって心が揺れ動いたあとに、あなたの心の中に、戻れる場所、帰れる場所があるかどうか、それがなによりも大切なことなのだから。

・自分のために生きるということ。自分の人生を全うしてやる!自分自身の人生に責任を持ってやる!それくらいの「潔い宣誓」。現実は誰かのために生きていたとしても。己の中にある「自分自身のために生きること」を消しちゃいけない。自分の人生という日を灯し続けていくのだ。それを追い求めていくうちは、「自分の人生を生きること」を忘れはしない。

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私は、悲しみも劣情も、静やかに眺める。 黒田 充代

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