心とくらしが整う禅の教え
- 著者:吉村 昇洋
- 出版:オレンジページ
- 発行:2021年9月16日
- 価格:1,500円+税
- 頁数:146ページ
- 編集:スピりんく 編集部
スピリチュアルブログ版ダイジェスト
近年、頻発する自然災害と被害の甚大化、新型ウイルスの世界的感染拡大による未曽有のパンデミックなどにより、漠然とした不安が続いています。
価値観や社会構造の変化、新生活様式へのシフトによって生活スタイルが変わり、心と体のバランスを崩す人もいるのです。
自分を取り巻く環境は刻一刻と変わります。環境を自分に合わせられれば理想かもしれませんが、他者や社会を変えるのは容易ではありません。
まずは、自分のあり方を変え、環境に適応する「自己調整」が優先されるべきだと著者は述べています。
本書を読むと、坐禅や写経などの特別な行いをせずとも、食事、そうじ、洗濯といった日常の生活行為を、禅の教えにのっとって実践することが自己の心を整える近道だと教えられます。
《著者「吉村昇洋(よしむらしょうよう)」氏について》
本書の著者である吉村昇洋(よしむらしょうよう)氏は広島県の出身で、駒澤大学大学院にて人文科学研究科仏教学専攻修士課程、広島国際大学大学院にて総合人間科学研究科実践臨床心理学専攻専門職学位課程をそれぞれ修了し、曹洞宗大本山永平寺(だいほんざんえいへいじ)にて2年2カ月にわたる修行生活を送りました。
現在、広島県広島市にある曹洞宗八屋山普門寺(ふもんじ)の副住職を務めながら、公認心理士・臨床心理士として精神科病院に勤務しています。
普門寺の各種イベントを手がけるほか、大学やカルチャーセンターでの講義・講演、禅仏教や臨床心理学に関する執筆活動、新聞のコラム連載など、幅広く活躍しています。
また、自坊で精進料理教室を主宰し、テレビ番組の料理コーナーの講師に抜てきされたり、料理本を執筆したりなど、「食」を通して禅の教えを伝える活動にも力を入れています。
《「くらし」を整えることで「心」が整う》
自分のあり方を変えたり、心身を整えようとしたりするとき、私たちは得てして何か特別な行いを実践しようと試みます。
しかし、実は日常生活であたりまえのように行っていることの中に、その行いを通して気づきを得られるものがたくさんあるのです。
著者は、坐禅や写経といった特別な行いだけでなく、日常生活で誰もがやるような行い一挙手一投足すべての行為が修行となるというのが禅の考え方であると、本書内で述べています。
日常の食事、炊事、そうじ、洗濯などをする際に、私たちはどこに意識を向けているでしょうか。
ふり返ってみると、行いそのものに集中せず、まったく別の過去や未来のことを考えていることが多いはずです。
まず、その意識を「今この瞬間」に向けて、目の前のやるべきことをていねいに行ってみましょう。そうすることで、今まで気づかなかった自分の感情や行動パターンに気がつくことがあります。
こうした行いを繰り返すことで「くらし」が整うだけでなく、自然と自分の「心」も整うというのが筆者の主張です。
心が整うと、心身ともに安定し、バランスがとれた状態になります。過去や未来のできごとにとらわれず、環境の変化に翻弄されることもなく、しっかり自己調整して適応できるのです。
つまり、とらわれないで生きる、仏教でいうところの「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」を目指すことの重要性を教えられる一冊です。
目次
- 序章 くらしを整え、心身の安定を保つ
- 第1章 食は心と身体を整える
- 第2章 禅式そうじで住まいと心を磨く
- 第3章 禅の教えをくらしに取り入れる
- 第4章 「心とくらしが整う」お悩み相談室
一言コメント
炊事、そうじ、洗濯、片づけ、食事などは、私たちが日常的に行っているものです。しかし、あたりまえに行っている行為を改めて見直したときに、それまで気づかなかった自分の感情や行動パターンなどが見え、「気づき」が生じると著者は述べています。それらをまずありのままに受け止めることが自己調整の第1歩なのです。
注目の文章ピックアップ
・修行とは心の汚れを清めることであり、自分の中の貪り・怒り・愚かさと向き合うことが大切です。
・自分の心の持ち方、心のありようを、掃除という具体的な行為を通して、しっかりと感じていく。それが「禅のそうじ」だといえるでしょう。
・坐禅という特別な座り方をすることだけが修行なのではなく、日常生活で誰もがやるような行い、一挙手一投足すべての行為が修行となる、というのが禅の考え方です。
・禅では「今この瞬間に意識を向けて、ありのままに受け止めること」を大事にします。
・あれこれ考えるのではなく、「今この瞬間の自己」をありのままに感じる。「ああ、自分はこんな風に感じているんだな」と気づけばいいのです。その気づきが、自分の心の持ち方を問うきっかけとなるのです。
・その意識を「今この瞬間」に向けて、物事をきちんとていねいに行えば、よけいな思考にとらわれなくなるのです。
・プラスのこともマイナスのことも長引かせず、フラットに立ち返ることが、とらわれを手放すことであり、心が整っている状態だといえるでしょう。
・けれども、よくよく見ればものはただのものでしかなく、「私」なんてどこにも入っていない。ものの価値は自分を勝手につけ加えているだけ、ということに気づく。
・とらわれないで生きていくことは、仏教でいう「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」であり、心が穏やかな状態で過ごしていけるということなのです。